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インテリゲンツィアの登場 [歴史]

 1861年の農奴解放令はロシア資本主義発達の出発点となったとされています。しかし、農奴解放令をはじめ一連の「大改革」をおこなった皇帝アレクサンドル2世自身は、1863年1月におこったロシア領ポーランドにおける反ロシア独立運動に手を焼いたこともあって、その後、徐々に反動的政治姿勢をとるようになります。1863年1月22日、ロシア領ポーランドで、中央国民委員会が臨時国民政府の名でロシアに対する蜂起宣言を発し、国民によびかけました。ポーランド駐在のロシア正規軍10万人に対して、闘争に加わったのは2万人といわれますが、行動は新たな蜂起をよんで続けられていきます(1月蜂起)。翌1864年3月2日に皇帝はロシア領ポーランドにも農奴解放令を公布します。
 1870年代に入ったロシアでは、農民は解放されたといっても長期の借財に苦しみ、生活環境の改善は進まず、工業化の遅延から市民階級の成長は遅れていました。そうしたなかで、変革をめざす人びとが新たに登場します。彼らは都市に居住し、進歩的貴族や新興市民の子弟からなり、西欧的教養を身につけてロシアの後進性を意識し、改革の必要性を認識していた知識人階級(インテリゲンツィア)でした。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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