SSブログ

第1次バルカン戦争が始まる [歴史]

 1908年の青年トルコ革命以降、オスマン帝国の中央集権的な「オスマン化」政策はバルカン諸国に強い反発をまねきました。1911年7月の第2次モロッコ事件で列強の目がモロッコに向けられているすきをついて、9月リビア進出をもくろむイタリアがオスマン帝国に対して宣戦布告し(イタリア=トルコ戦争)、同年10月リビア上陸に成功しました。この戦争をきっかけとして、バルカン諸国も対オスマン帝国でまとまりをみせはじめました。それまでオスマン帝国領マケドニア(現在の独立国北マケドニア)をめぐって対立してきたセルビアとブルガリアは、バルカン半島での影響力拡大をねらうロシアの後押しで、1912年3月13日に友好同盟条約を締結しました。つづいて、5月にはギリシアがブルガリアと、モンテネグロが9月にブルガリアと、つづいてセルビアと友好同盟条約を結び、ここに4国の対オスマン帝国のバルカン同盟が形成されました。
 1912年8月オスマン帝国領マケドニアでアルバニア人が暴動を起こすと、10月17日、この月の8日すでにオスマン帝国と戦端を開いていたモンテネグロに続き、セルビアとブルガリアがオスマン帝国に宣戦布告しました。19日にはギリシアも宣戦布告、バルカン同盟諸国とオスマン帝国との第1次バルカン戦争が始まりました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(https://net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。