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日本が韓国を併合 [歴史]

 1910年8月22日、大韓帝国首都の漢城内外を日本軍と憲兵隊が厳戒するなか、寺内正毅韓国統監と李完用大韓帝国総理大臣が韓国統監府で8か条からなる「日韓併合ニ関スル条約」に調印しました。同条本文で「韓国皇帝が、韓国のいっさいの統治権を永久に日本国皇帝に譲渡し、それを日本国皇帝が受諾して韓国の日本帝国への併合を承認する」し明記しており、日本による植民地化を隠蔽するものでした。条約は7日後の8月29日に公布、実施され、1392年以朝は滅亡、大韓帝国(韓国)の国号は消滅し、単に朝鮮となりました。韓国皇室は皇族の礼をもって遇せられ、李完用はその功績により伯爵の称号と15万円が与えられました。韓国国内では、この8月29日は国恥記念日となり、日本に抗議する自決者も現れるなど、以後、朝鮮内外で反日独立運動が展開されていきます。
 日本は、統監府にかわり朝鮮総督府をおき、初代総督に寺内正毅を任命しました。寺内は独立運動を力ずくで押さえ込む武断政治をすすめていきます。翌1911年8月24日には朝鮮総督府は朝鮮教育令を公布し、日本語による教育体制をしきます。日本国内の世論は、富国強兵論のなかで、新領土開発を期待して併合を歓迎し、併合が朝鮮に秩序と進歩をもたらすとしたものが多くみられました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(https://net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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