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サラエヴォ事件 [歴史]

 1914年6月、バルカン半島オーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)併合領ボスニア・ヘルツェゴヴィナの州都サラエヴォで、オーストリア陸軍大演習が行われました。それを観閲するために訪問中の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、28日、南スラヴ人の解放を唱える「青年ボスニア党」メンバーでボスニア出身のセルビア人青年ガブリロ・ブリンツィプに、白昼、射殺されました。大公夫妻は観閲式の帰途中、市内の通りで発射された2発の弾丸により、大公妃は即死、病院に運ばれた大公も十数分後に亡くなりました。大公は50歳、大公妃は43歳でした。
 フランツ・フェルディナント大公は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(84歳)の甥でしたが、皇太子と、皇帝の実弟である父の死去にともない、帝位継承者となっていました。大公は帝国の衰退を憂い、オーストリア=ハンガリー帝国に南スラヴ諸民族を加えた三重帝国による連邦国家への再編などを構想していたところ、1908年に併合したばかりのボスニアで、民族主義者によって暗殺されました。
 このサラエヴォ事件直後、プリンツィプら7人の暗殺関係者の背後関係が調査され、通称「黒手組」とよばれる大セルビア主義を掲げる秘密組織「統一か死か」などの存在が指摘されました。しかし、はっきりした証拠もなく、セルビア政府の関与についても確証は得られませんでした。
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