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第1次バルカン戦争が終わる [歴史]

 1912年10月17日、オスマン帝国とバルカン同盟との第1次バルカン戦争が始まりました。そして、翌11月には、はやくもオスマン帝国の劣勢が明らかとなりました。地理的にオスマン軍主力と対峙していたブルガリア軍は、11月3日にはオスマン軍を破り、オスマン帝国の首都イスタンブルから40kmにまで進軍します。セルビア軍はオスマン軍を撃破して南下、マケドニア諸地域を攻略し、同じく3日にはアルバニアを経由してアドリア海にまで到達します。またギリシア軍は北上し、11月9日には、マケドニア南部の中心地テッサロニキを占領します。
 劣勢のオスマン帝国は、1912年11月3日、フランスとオーストリアに仲裁を依頼しましたが、同日、ロシアはブルガリアのイスタンブル占領に警告を発します。11月19日、バルカン同盟諸国が講和条件として、オスマン帝国のヨーロッパ側領土からの全面撤退を要求しました。戦況はその後、膠着状態に入りましたが、12月3日、ギリシアを除く他の3国とオスマン帝国が休戦協定を締結、16日からロンドン講和会議が始まりました。
 講和を話し合うロンドン会議は、翌1913年2月に戦闘が再開され一時中断しましたが、4月に再度休戦し5月30日にはロンドン条約が締結されました。この条約では、オスマン帝国がエーゲ海沿岸エノス(エネズ)と黒海沿岸ミディア(ミディエ)を結ぶ線以西の領土と、クレタ島を放棄することを規定しています。オスマン帝国は、イスタンブルを除くヨーロッパ側の領土の大部分を割譲することになりました。なお、アルバニアはこの戦争のさなかに独立を宣言し、同年5月に国際的に承認されました。
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