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M8.3地震、サンフランシスコを直撃 [歴史]

 1906年4月18日午前5時13分、サンフランシスコでアメリカ西海岸史上最大級の地震が発生、震動は2分40秒も続きました。その後、6時間にわたり6回の強震が市を襲い、とくに8時45分に発生した3回めの強震は、最大の被害をもたらしました。
 ハイウェーは一瞬にして裂け目が入って分断され、市の大半の建物は粉々になって崩れ落ち、瓦礫の山となりました。さらに大きな被害が、地震に続く火災によってもたらされ、市は一面の火の海と化しました。火災は3日間も続き、ビジネス街を中心として広い範囲が完全に焼け落ちました。25万人の市民が家屋を失い、死者は1,000人以上を記録、被害総額は周辺都市の被害を合わせると未曾有のものとなりました。この年は、地震を一つの契機として排日運動が盛り上がり、日本人学童を別の学校に隔離する騒ぎも発生しました。
 こうした惨状に再起不能と思われた市は、9年後の1915年、パナマ運河開通を祝って開催されたパナマ・太平洋万国博覧会のころには完全に立ち直り、フェニックス(不死鳥)が市のシンボルとなります。のちに、この地震は横ずれ断層の代表的な例で、サンアンドレアス断層によるものと判明、活断層概念などを生むきっかけとなりました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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