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南満州鉄道が発足 [歴史]

 1906年11月26日、神田青年会館で、南満州鉄道株式会社の設立総会が開かれ、初代総裁に前台湾総督府民政長官の後藤新平が就任しました。南満州鉄道(満鉄)は日本の対大陸政策のかなめとなるもので、日露講和条約によってロシアが日本に譲渡した旅順と長春のあいだの鉄道と、それに付属する利権をもとに設立されました。同年6月に勅令で設立が公布され、8月政府は満鉄設立の命令書をだして定款などを定め、満鉄の経営内容を具体化しました。
 営業の中心を旅順・長春間の鉄道とその支線の経営、ならびに撫順・煙台の炭鉱の経営とし、ほかに水運業や電気業・鉄道貨物の委託事業・倉庫業・鉄道付属地の土地・家屋の管理など、多様な事業を行うことを決めました。資本金総額は2億円、うち1億円は政府の出資で、既設の鉄道や炭鉱などを現物で拠出し、あとの1億円は株式の募集によって調達することとしました。
 同年9月10日から10月5日まで株式の第1回募集が行われ、9万9千株の募集に対して、申し込み株数は1億660万株をこえるブームをひきおこしました。1人で売り出し株式全部の購入を申し込んだ大倉喜八郎には91株、5万株を申し入れた古河虎之助には46株というように、株式は細分化して割り当てられました。さらに、満鉄経営に必要な資金を、横浜正金銀行や日本興業銀行を通じて多額の外資を導入してまかなうこととしました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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