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ビスマルク時代の終焉 [歴史]

 1890年3月20日、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は宰相ビスマルクの辞表をこの日、受理しました。ここに、約20年に及ぶビスマルク時代は終焉を迎えました。
 辞任の直接のきっかけは、この年1890年9月に期限切れとなる社会主義者鎮圧法の取り扱いをめぐる皇帝との確執や対立でした。ビスマルクは社会主義者鎮圧法よりもさらに過酷な弾圧立法を、議会に提出しようとしていました。一方、皇帝は労働者保護立法の必要性を認めていました。皇帝はビスマルクの法律が内政上の紛争や対立の激化を招くと考え、ビスマルクの辞表を受理しました。
 こののち、皇帝は水先案内人ビスマルクの下船にともない、「航路は前のまま」として親政を開始しましたが、まもなく進路変更をともなう「新航路」政策をとります。
 ビスマルクが辞任した翌週の27日には、皇帝は1887年にロシアと締結したロシアとの再保障条約を更新せずに破棄しました。これは国際政治においても大きな転換となり、ロシアとフランスの接近をうながすことになります。また、同1890年9月30日には、ビスマルクの失脚により、社会主義者鎮圧法が廃止され、それにともないドイツ社会主義労働者党は、現在につながる政党であるドイツ社会民主党と改称しました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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