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フランスでドレフュス事件起こる [歴史]

 露仏同盟が成立した1894年、フランスでは反ユダヤ感情が生み出したえん罪事件である、ドレフュス事件が起こりました。
 1894年9月末、フランス軍参謀本部は、ドイツに情報を提供したとするドレフュス大尉のメモを入手し、彼を逮捕しました。だが、それは証拠が不十分でした。しかし、同年11月1日、このことが新聞にスクープされ、事件のもみ消しが不可能となり、さらに軍情報部のアンリ少佐の証言が裁判で有罪の決め手となりました。同年12月2日、フランス軍法会議は、ユダヤ人のドレフュス大尉をスパイ罪で終身流刑としました。
 これより12年前の1882年、カトリック系の銀行ユニオン・ジェネラルが倒産し、多くの市民が預金を失って以来、フランス国民のあいだでは金融界を支配しているユダヤ人への反感が強まっていました。さらに、ドイツとの緊張が高まり、激しい諜報合戦のなかで起きたこの事件は、ユダヤ人のしわざであるとされ、誰もがユダヤ人のドレフュス大尉の有罪を信じました。
 翌1895年1月、彼は南米のギアナ沖の悪魔島に送られました。しかし、流刑の後で、無罪の資料が出てきて、社会的大問題となり再審運動が高まりました。それに対して、軍部は闇に葬ろうとし、1897年には時の首相も「事件は存在しない」と答弁しますが、再審運動はさらに高まりました。1899年の軍法会議はあらためて有罪とし、同年、恩赦としました。その後、ドレフュスは1906年に無罪判決を獲得します。この事件は反ユダヤ感情が生んだえん罪事件でした。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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