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パリ・コミューンの成立 [歴史]

 プロイセン軍に1870年9月以来パリを包囲されていたフランス国防臨時政府は1871年1月28日にパリを明け渡し降伏、ヴェルサイユ休戦協定を結びました。2月26日にはヴェルサイユ仮講和条約が結ばれ、5月10日にフランクフルトで正式に調印、ドイツはアルザス・ロレーヌ地方と50億フランの賠償金を獲得しました。
 その間、1871年2月8日に行われたフランス総選挙で王党派が圧勝し、同月17日ボルドーに国民議会をおき、ティエールを行政長官に選出しました。国民議会は3月1日ナポレオン3世を正式に廃位としましたが、ヴェルサイユ仮講和条約でアルザス・ロレーヌ地方を割譲し、パリ占領を許したティエール内閣に対するパリ民衆の怒りは強く、パリ国民軍が蜂起しました。3月18日、ティエール政府軍はパリ国民軍の武装解除を図りますが、民衆の反撃にあって失敗し、うろたえてヴェルサイユに逃げ出しました。
 1871年3月26日パリでコミューン選挙が行われ、同月28日パリ市庁舎のバルコニーからランヴィエ議員が「人民の名においてコミューンが宣言された」と叫び、直接民主制による民衆の自治都市パリ・コミューンが成立しました。こうして、パリの直接民主制による自治が開始されました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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