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ドイツの統一がなる [歴史]

 ナポレオン3世が率いる10万のフランス軍はスダンでプロイセン軍に包囲され、1870年9月2日降伏しました。同年9月4日パリの民衆が蜂起し、共和派ブルジョアとともに国防臨時政府を樹立、ナポレオン3世の第二帝政は崩壊しました。一方、プロイセン軍は9月19日にはパリを包囲し、10月末にはバゼーヌ軍を降伏させました。民衆は徹底抗戦を主張しますが、籠城下のパリでは食糧も乏しくなり、国防政府は、年が明けると和平を急ぎ、1871年1月28日パリを明け渡し降伏、ヴェルサイユ休戦協定が結ばれました。2月26日にヴェルサイユ仮講和条約が締結され、5月10日フランクフルトで正式に調印、ドイツはアルザス・ロレーヌ地方と50億フランの賠償金を獲得しました。
 いまだプロイセン軍によるパリ攻撃の砲声がとどろく1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」に参集したドイツ諸邦の君主や将官の見守るなか、プロイセン国王ヴィルヘルム1世は「連合したドイツ諸邦と諸自由都市の要請に従って」ドイツ皇帝に即位しました。ここに長年にわたるドイツの諸邦分立状態は終わりを告げ、ドイツ第二帝国(第二帝政)が創建されました。第二帝国は、22の君主国とハンブルク、ブレーメン、リューベックの3自由都市、それにフランスから獲得したアルザス・ロレーヌ直轄領からなる連邦国家でした。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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