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ロシア農奴解放令 [歴史]

 1861年4月、アメリカ合衆国で最大の内戦である南北戦争が始まりました。そして、1863年1月にはリンカンによって、奴隷解放宣言がだされました。それと同じ頃、ロシアでも皇帝アレクサンドル2世による近代化を図る「大改革」が開始されました。1853年に勃発したクリミア戦争で英仏に敗北したことにより、ロシアの後進性が明らかになり、その戦争中に即位したアレクサンドル2世は国内の「大改革」を開始しました。その改革の一つとして、1861年3月3日、皇帝は農奴解放令を発布しました。
 農奴解放令により、ロシアの近代化をはばみ、長年にわたり農民の自由を奪ってきた農奴制に終止符が打たれました。しかし、改革に抵抗する貴族を前に、皇帝は「朕が農民に自由を与えようとしているとのうわさが流れている。これは正しくない。しかし、農民とその領主とりあいだには、不幸にも敵対関係が存在しており、すでにこれが原因で領主に対する不服従の例がいくつか生じている。朕は遅かれ早かれ、われわれがこのことに決着をつけねばならないと確信している。それならば、下からよりも上からこれを行うほうがはるかによいのである」と演説しています。ここには保守主義者としての皇帝の姿勢がみえています。こうして、農奴解放令により、約2,250万人の農奴は解放され、「自由な農民」となりました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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