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ロシア、東清鉄道全線開通させる [歴史]

 1902年日英同盟条約が調印されました。この条約はイギリスの清国での利益と、日本の清国と韓国での利益確保をおもな目的としていました。この条約が調印された翌年の1903年7月1日、ロシアが敷設権を得て建設をすすめてきた、東清鉄道の全線での正式営業が始まりました。東清鉄道は、ロシアと清国との国境であるアムール川沿いを通るシベリア鉄道に対して、清国領である満州を横断し、チタから日本海の港市ウラジオストクを直線的に結ぶものでした。
 1896年、ロシアは、皇帝ニコライ2世の戴冠式に出席するため訪露中の清国の李鴻章と交渉し、東清鉄道の建設を承認させました。1898年に着工し、1902年1月には満州里からハルビンを経由する本線が完成しました。
 ロシアは東清鉄道着工の直前に締結した遼東半島租借条約で、清国にハルビン・大連・旅順間の鉄道敷設を認めさせていました。これが東清鉄道の南部支線で、1903年1月に完成し、同年7月全線営業開始となりました。なお、日露戦争後、南部支線の長春・旅順間は日本に譲渡され、日本は1906年、南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立し、中国大陸進出の足がかりにしていきます。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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