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アメリカ、パナマ運河建設へ [歴史]

 ロシア領のチタから、清国領である満州を横断し、日本海のロシア港市ウラジオストクを直線的に結ぶ東清鉄道が1903年7月全線での正式営業が始まりましたが、その同じ年の11月3日、アメリカの後押しでパナマがコロンビアからの独立を宣言し、パナマ共和国が誕生しました。
 その2年前に米大統領に就任したセオドア=ルーズヴェルトは、大西洋と太平洋を結んで商船や軍艦を往来させるために、パナマ運河建設にのりだしました。この年1903年1月、一時金1,000万ドル、年間賃貸料25万ドルの条件で、コロンビア政府に運河用地の貸与を同意させ、両国は運河条約に調印しました。しかし同年8月にコロンビア議会が批准を拒否したため、ルーズヴェルトと国務長官ジョン=ヘイは、独立派パナマ人とひそかに連絡をとりはじめました。そして独立宣言の前日、軍艦を大西洋の要港コロンに派遣、500人のコロンビア守備隊を捕虜にして、パナマ「独立」を助けました。アメリカは3日後に独立を承認、18日にはパナマ運河条約を結び、運河地帯の永久租借権を得ます。運河は第一次世界大戦が勃発した1914年7月の翌月、8月15日に開通します。
 同じ1903年12月28日、日本では日露開戦必至とみた山本権兵衛海相は連合艦隊を組織し、東郷平八郎を司令官に任命しました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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