SSブログ

ビスマルクの登場 [歴史]

 サルデーニャ王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世がイタリア国王に即位した1861年3月の前月、2月1日、プロイセンでは、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の死去にともない、摂政だったヴィルヘルム1世が跡を継ぎ国王となりました。新国王が軍制改革を推し進め軍事大国化を目指すことに対抗して、議会主義政治を志向するドイツ進歩党が同年6月9日結成されました。そして同年12月に実施されたプロイセン議会下院選挙で、進歩党は109議席を獲得して一躍第一党となりました。国民の支持を得た進歩党は、政府の軍制改革計画と対決していきます。
 翌1862年9月24日、前駐仏大使オットー・フォン・ビスマルクはヴィルヘルム1世によって首相に任命されました。生粋のユンカー(土地貴族)である彼は、忠実な臣下として議会主義の台頭に身を挺して闘うことを誓いました。おりしも、陸軍の増強を骨子とする軍制改革法案をめぐり、王権と議会の対立が激化していました。自由主義多数派からなる議会は、国家予算からいっさいの軍制改革費の削減を主張していました。
 ビスマルクは同年9月30日の予算委員会で、「・・・言論や多数決によっては現下の大問題(注 ドイツ統一)は解決されないのであります。・・・鉄と血によってこそ問題は解決されるのであります」と、有名な「鉄血演説」を行い、憲法を無視し、議会を停会したまま統治を続行しました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。