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ベルリン=コンゴ会議の開催 [歴史]

 1884年11月15日、ドイツ、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国にアメリカ、オスマン帝国を加えた14カ国が参加して、アフリカにおける列強の利害調整を目的とした会議がベルリンで開催されました。ベルギー国王レオポルド2世のコンゴ川流域への強引な進出が、もともとこの地域と関係の深いポルトガルとの対立をまねきました。さらに、これに各国の思惑がからみはじめたため、ドイツのビスマルクがよびかけて、会議が開催されました。会議は3ヵ月以上におよび、レオポルド2世のコンゴ進出の母体となったコンゴ国際協会の主権を正式に承認し、ベルリン協定の採択をもって、翌1885年2月26日に閉幕しました。
 このベルリン協定には、アフリカ大陸沿岸部における新しい領土併合にさいしての原則が盛り込まれました。それは、ベルリン協定国による承認、さらに当該地域に対する実効支配の確立が、新たな領土獲得の条件とされました。この原則に従い、列強は相互間の調整と、各地の首長たちとの保護条約にもとづく「線引き」を行うことになり、コンゴは事実上、コンゴ自由国の王レオポルド2世の私領となりました。
 結果として、ベルリン=コンゴ会議は、アフリカ分割競争を一気に加速させ、列強による「紙上の分割」をもたらしました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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