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ナロードニキの運動 [歴史]

 1870年代には入ったロシアでは、西欧的教養を身につけてロシアの後進性を意識し、改革の必要性を認識していた知識人階級(インテリゲンツィア)が新しい変革をめざす運動を始めました。かれらはミール(農村共同体)に相互扶助の伝統があることに着目し、農村工作運動を展開して、資本主義を通過しないで社会主義を実現しようとしました。その方針のもとに「ヴ=ナロード(人民のなかへ)」を合言葉に、知識人や学生は都会から農村に入っていきました。かれらはナロードニキと呼ばれ、1873年頃から始まり、翌1874年には運動の全盛期を迎え、数万の青年が農村に入り社会主義革命を宣伝し、農民蜂起を扇動しました。
 しかし、1870年代前半はほとんど農民に受け入れられず、後半には「土地と自由」を掲げて半インテリとして農村に定住し、地道な活動を進めたので、一部には受け入れられるようになりましたが、政府の弾圧はきびしく、ほとんどが失敗に終わりました。1878年1月23日、前年に逮捕された193名のナロードニキに対する公開裁判がモスクワで行われました。被告の大部分は学生で、100人が無罪、その他の者も軽い刑罰ですみましたが、革命の展望を失ったナロードニキのなかには、アナーキズム(無政府主義)やニヒリズム(虚無主義)に走るものも現れ、皇帝や政府高官の殺傷をめざす、テロリズム(暴力主義)が活発化しました。ナロードニキが革命の母体と考えたミールは、皮肉にもこののち19世紀末までツァーリ(皇帝)権力を支える保守的な役割を果たしていきます。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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