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南アフリカ戦争(ブール戦争)へ [歴史]

 アフリカ大陸南端のケープ地方に、1652年オランダ東インド会社が補給基地(のちのケープタウン)を築き、やがてオランダ人中心の入植者社会が形成されました(ケープ植民地)。イギリスはナポレオン戦争の際にこれを占領、1806年に植民地とし、1815年のウィーン議定書により列国に承認されました。その結果、イギリスの支配が強まると、それをきらってオランダ系の移民(ブール人)は北方に移住し、オランダ自由国とトランスヴァール共和国を建設しました。
 この両国に豊富なダイヤモンドや金鉱が1886年に発見されると、ケープ植民地首相セシル=ローズはその資源を狙い北進を開始しました。南アフリカでのダイヤモンド採掘事業に成功して独占権を握っていたセシル=ローズは、トランスヴァールの金鉱採掘事業をも支配していました。かれはイギリス本国の過剰な人口と商品をさばくためには、帝国主義が必要であると主張し、「人びとは内乱を望まないなら、帝国主義者となり、地球を分割しつくしたら遊星をも併合しよう」、「帝国主義、それは増加する人口の胃の腑の問題だ」と語っています。この言葉は当時の帝国主義の気運をよく表現しています。
 そして、1895年12月29日、イギリス南アフリカ会社のリンダー=ジェームソンが500名の兵士を率いて、トランスヴァール共和国に不法侵入しました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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