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南アフリカ戦争(ブール戦争)が勃発 [歴史]

 オランダ系の移民(ブール人)の国オレンジ自由国とトランスヴァール共和国に豊富なダイヤモンドや金鉱が1886年に発見されると、ケープ植民地首相セシル=ローズはその資源を狙い北進を開始しました。
 そして、1895年12月29日、彼の仲間のイギリス南アフリカ会社のリンダー=ジェームソンが500名の兵士を率いて、トランスヴァール共和国に不法侵入しました。しかし、この時の侵入事件は失敗に終わり、セシル=ローズは政界を引退、ジェームソンはブール人の捕虜となり本国に送還されました。
 イギリスはジェームソン侵入事件でブール人に撃退されましたが、カイロとケープタウンを結ぶアフリカ縦断政策を実現し、トランスヴァール共和国の金鉱を支配するために、同国を挑発することをやめませんでした。1899年初頭からの、イギリス植民地相ジョゼフ=チェンバレンと南アフリカ高等弁務官アルフレッド=ミルナーの露骨な内政干渉が直接的の引き金となって、同年10月12日、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国は共同してイギリスに宣戦布告して、南アフリカ戦争(ブール戦争)が勃発しました。同年12月11日にはブール軍にイギリス軍が惨敗し、同月15日にもイギリス軍はコレンソの戦いで敗れるなど、ブール人が有利に戦いを展開しました。
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