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日英同盟が結ばれる [歴史]

 1903年12月17日、アメリカ合衆国ノースカロライナ州キティホークの砂丘でライト兄弟が、自作の飛行機で人類初の動力飛行に成功しましたが、その前年の1902年に、日英同盟が結ばれ、日本は対外膨張へ突入していくことになります。1902年1月30日、イギリス外相ランズダウンと林駐英公使がイギリス外務省で日英同盟条約に調印し、即日発効しました。
 1899年中国山東省で義和団を中心に排外運動がおこり、1900年には、列国公使館が清国兵や民衆に包囲されました。この事態に、清国が列国に宣戦を布告したため、日本など列国は軍隊を派遣し、乱を鎮圧するとともに翌1901年北京議定書が調印され、清国は北京にどに列国の守備兵を置くことを認めました(義和団事件)。ところが、ロシアは事件が収まったのちも十数万の軍隊を満州にとどめ、事実上満州を軍事占領し、さらに南下して韓国を勢力下におこうとする気配をみせました。
 こうした、東アジアへのロシアの脅威が増した2年ほど前から、南アフリカ戦争の渦中で余力のないイギリスは「光栄ある孤立」政策を捨て、韓国を勢力下におこうとする日本に接近しました。日本国内では日露協商を説く伊藤博文らとの確執がありましたが、この日の調印を迎えました。条約はイギリスの清国での利益と、日本の清国と韓国での利益をおもな目的としていました。
 日本では、列強と結んだはじめての対等条約として、公示された2月なかばから祝賀の催しが各地で開かれ、東京では提灯行列が行われました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.~hnakayam/)を検索ください。
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