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ガリバルディと赤シャツ隊 [歴史]

 ヴィラフランカの講和でフランスがオーストリアと単独講和を結んだことに対して、イタリア各地で不満がつのり、統一を求めて蜂起が次々とおこりました。カヴールもこの講和を不満としてサルデーニャ王国首相を辞任しますが、翌1860年1月21日復職します。結局、イタリア統一戦争ではサルデーニャはロンバルディアしか併合できず、ヴェネツィアは依然としていオーストリアに残ることになりました。カヴールはナポレオン3世と交渉して、サヴォイアとニースを割譲するかわりにサルデーニャによる中部イタリアの併合を認めさせました。ニースとサヴォイアは4月に行われた人民投票によってフランスに属することが決定し、1860年6月14日ナポレオン3世がニースに入城しました。
 それに先立つ、1860年5月6日、サルデーニャ王国の支援をうけた、ガリバルディ率いる1,000人あまりの義勇軍(赤シャツ隊(千人隊))が、ジェノヴァ近郊のクアルトから2隻の船で出航しました。そして同月11日、シチリア島西端のマルサーラに上陸しました。
 ガリバルディが率いた義勇軍は赤シャツを制服としていました。赤シャツは、かつてガリバルディが南米での独立戦争に参加したときに、食肉解体場の作業服(血の色が目立たない赤)の生地を制服に制服に使用したことから生まれたものでした。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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