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プロンビエールの密約 [歴史]

 1858年7月20日、サルデーニャ王国首相カヴールとフランス皇帝ナポレオン3世がアルプス山麓の温泉場プロンビエールで、イタリア問題の解決のために、オーストリアとの戦争をどのようにすすめるかをめぐって、秘密会談を行いました。
 ここで成立した密約によわれば、フランス側は20万人の兵力を提供し、勝利の後にはサヴォアとニースの両地方をサルデーニャ側から獲得するとし、サルデーニャ王国は北部イタリアのみを併合することになっていました。中部と南部イタリアは、ローマ教皇を総裁とするイタリア連邦に組み込むとされていて、イタリア全体の統一は想定されていませんでした。
 カヴールはイタリア統一の障害となっていたオーストリアとの戦争で、フランスの参戦をとりつけることをねらっており、フランスのねらいは、ヨーロッパ国際社会における主導権獲得と、サヴォアとニースを手に入れることでした。
 1859年4月29日、カヴールがオーストリアから要求されていた軍隊の解散を拒否したため、オーストリア軍がピエモンテに侵入し、イタリア統一戦争が始まりました。また、5月22日には在位中、シチリア諸都市を砲撃して反動化をすすめた、両シチリア王国の国王フェルディナンド2世が死去するなど、イタリア半島の情勢はいっきょに流動化しました。
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