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オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立 [歴史]

 1867年4月、連邦加盟国の国法に優先する北ドイツ連邦憲法が採択され、プロイセン国王を首長とする、マイン川以北の北ドイツ22カ国からなる北ドイツ連邦が結成されました。連邦議会議長にプロイセン首相のビスマルクが就任し、ドイツ統一にむけて、プロイセンの主導的地位が確立しました。
 一方、プロイセンとの戦いに敗れ、ドイツ統一から排除されたオーストリアは、大国としての存続を図るため、支配下のハンガリーに特権を与え、議会と行政府の存在を容認して自治権を与えました(アウスグライヒ(妥協))。1867年3月26日、ハンガリー議会がオーストリアとの合体を定めるアウスグライヒ法案を承認し、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立しました。
 この帝国では、オーストリア皇帝ヨーゼフ1世がハンガリー王を兼ね、両国は同一の君主のもとに外交、軍事、財政を共通とし、それ以外はそれぞれ、独自の憲法を定め、政府、議会を組織し、統治にあたるという同君連合体制でした。こうして、オーストリアは支配の重点を東ヨーロッパにおきましたが、ドイツ人とマージャール(ハンガリー)人を支配民族とする二元的支配は、他の諸民族の不満を高め、たえず国家解体の危機に直面することになりました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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