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エムス偽電報事件 [歴史]

 1868年のスペイン9月革命で女王イサベル2世がパリに亡命して以来、空位となっていたスペイン王位に、プロイセンのホーエンツォレルン家の王子レオポルトが推戴され、1870年6月19日、受諾を表明しました。これに対して、フランス皇帝ナポレオン3世はこの推戴に強く反対し、同年6月25日、パリに亡命中のイサベル2世が退位の説得に応じ、長子アルフォンソ12世に譲位しました。ここに、スペイン王位をめぐって、プロイセンとフランスが対立することになりました。同年7月、ナポレオン3世はエムスで休養中のヴィルヘルム1世に公使を派遣し、同月9日両者が会見し、スペイン王位継承問題を話し合いました。そして12日、会見の結果をうけて、国王に推戴されていたレオポルトが即位を辞退しました。ところが、翌13日、会見の内容を知らせる電報を受け取っていたビスマルクは、フランス公使が王を脅迫し王が公使を追い返したように、電文を改ざんして発表しました(エムス偽電報事件)。こうして、ビスマルクはドイツ人を憤激させるとともにフランス人を挑発し、プロイセン=フランス戦争のきっかけをつくりました。
 プロイセン=オーストリア戦争の後、プロイセンが勢いをますと、フランスのナポレオン3世は隣国に強大な国家の登場を阻止しようとし、一方、ビスマルクの側もドイツ統一を実現するためにはナポレオン3世との対決は不可避と考え、軍制を改革し着実に軍備の拡張と戦争準備を怠りませんでした。
 こうして、偽電報事件に激怒したナポレオン3世は1870年7月19日、プロイセンに宣戦布告し、プロイセン=フランス戦争が勃発しました。
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