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南北戦争が勃発 [歴史]

 1860年11月6日の米大統領選挙で当初劣勢を伝えられていたリンカンは、民主党の分裂に助けられて大統領に当選しました。しかし、同年12月20日、サウスカロライナ州が、共和党候補の大統領当選に反発して、連邦脱退を宣言しました。その後、リンカン大統領に反対する南部7州は翌1861年2月アラバマ州のモンゴメリーで南部連合(アメリカ連合国)を結成し、ジェファソン・デーヴィスを臨時大統領に選びました。そして、南部連合はその領域内の兵器庫を占領しました。
 これに対し、リンカンは、同年3月4日の就任演説で、連邦を守るうえから南部諸州の分離は違法であり、武力行使は反乱であるとし、分離諸州にある連邦財産と所有地の保全を言明しました。また、リンカンは、連邦側からの先制攻撃で内戦が始まることを回避するように努めました。そのため、同年4月6日、リンカンはサウスカロライナ州知事に、連邦軍が守備する同州チャールストン港のサムター要塞には食糧と水を補給するが武器は補給しない旨を通告しました。それは、南部連合がもし連邦軍の補給艦を攻撃すれば、開戦の口実となり、黙認して補給を許せば南部連合の面目を失わせる、と考えたうえのことでした。同年4月12日午前4時30分、補給艦が航行中のなか、南部連合軍はサムター要塞を攻撃し、南北戦争が始まりました。
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