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奴隷解放宣言 [歴史]

 1862年7月2日、連邦議会は1,100万エーカー(約445万ヘクタール)の国有地を州に与え、その売却収入で州が農業大学を設立するという、モリル法を制定しました。これらの大学はやがて州立大学になります。
 同年9月22日、リンカン大統領が、奴隷解放予備宣言を布告しました。これは、南部連合(アメリカ連合国)の奴隷は翌年1月1日を期して自由になることを宣言したものです。
 1863年1月1日、リンカン大統領は奴隷解放令に署名しました。これによって、連邦(アメリカ合衆国)に敵対するすべての州と地方の奴隷、約400万人が永久に奴隷の身分から解放されることとなりました。北部諸州では、この瞬間を待ち望んでいた多くの黒人や奴隷解放論者が、前夜から各地の教会や新聞社に集まりだし、ホワイトハウスから発表される宣言文に歓声をあげました。
 しかし、この宣言は連邦を支持する4つの境界州と、すでに連邦に占領されている南部地域とに属する約80万人の奴隷には適用されませんでした。あくまでも南北戦争下での軍事戦略上の必要から公布されたものだからです。また、南部連合州の多くの奴隷には、この宣言文は届きませんでした。合衆国全土の黒人奴隷が、事実上解放されるのは、1865年に憲法修正第13条が成立してからになります。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(http://www.net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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