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幹線鉄道国有化問題から辛亥革命へ [歴史]

 1911年5月20日、同月9日に鉄道国有令を公布した清朝政府が、川漢鉄道など二つの民営鉄道(四川の省都成都から湖北省の省都武晶を経由して広東省の省都広州にいたる)を国有化し、その買収と鉄道建設のために英独仏米四国銀行団から600万ポンドを借款しました。清朝政府は、列強からの借款によって、その支配の延命をはかるために、自国の鉄道利権をいわば抵当にいれました。
 しかし、国有化の対象とされた2鉄道は利権回収運動など、ナショナリズムの高揚のなかで設立された民営鉄道会社によって建設されつつあったものです。しかもこの決定は、当事者である鉄道会社や、立法諮問機関である資政院・諮議局とも協議することなく行われました。
 鉄道建設予定地の四川・湖北・湖南・広東の各省の株主や一般民衆は、保路同志会などの団体を結成して鉄道国有化反対運動をすすめました。ことに四川省において、反対運動が激化し、納税拒否や商店の一斉休業、学生のストライキなどに発展しました。それに対して清朝政府は、1911年9月7日四川省総督が鉄道国有化反対運動の責任者11名を逮捕し、釈放請願の群衆に対して軍隊が発砲して、死者30余名を出しました。
 1911年4月27日、中国同盟会のメンバーによる武装蜂起は失敗に終わりましたが(黄花崗事件)、それから半年、幹線鉄道国有化問題に対する反対運動の高まりもあって、10月10日、辛亥革命が始まりました。
 地図・図版など詳細は、webページ「みんなの社会」(https://net-hub.jp/~hnakayam/)を検索ください。
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