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辛亥革命 [歴史]

 1911年10月10日、夜10時過ぎ、孫文の意向をくむ清朝湖北新軍の革命派5,000人余りが、湖北省省都の武晶で蜂起しました(武晶起義)。この武晶起義が、辛亥革命の口火となりました。翌11日の早朝、革命軍は湖広総督の役所を攻撃、武晶を解放し、湖北軍政府の樹立に着手します。その夜には、漢陽の新軍が、12日早朝には漢口の新軍も決起しました。こうして、長江中流域の要衝である武晶・漢陽・漢口の武漢三鎮は、革命軍によって解放されました。
 この武晶起義の成功は、崩壊寸前にあった清朝に打撃となり、革命の動きは各地に広がります。そして同年11月末までに、全国24省のほぼ3分の2にあたる14省が清朝の支配から離脱し、独立を宣言します。同月30日には中国革命派の各省代表者会議が開催され、革命政府樹立を目標に中華民国臨時政府組織大綱を採択しました。
 孫文は起義の2日後、起義成功のニュースをアメリカ・コロラド州デンヴァーの宿舎で、朝食時に目にした新聞で知ります。彼は、いそぎ資金集めのためにヨーロッパをまわり、同年12月25日に上海に戻りました。同月29日、南京での17省代表者会議で、孫文は中華民国臨時大総統に選出されました。
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